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- 2011.02.27 Sunday
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Art(芸術)とScience(科学)は、僕の中では表裏一体のもので
「芸術と科学のバランス」が重要だと思いました。
ここでの芸術は、変化する感情のようなもの
科学は、変化しない数値化された知識などのものと考えれば
人は、この二つの度合いによって成されると定義したいと思います。
勉強不足のためこういう言い方が妥当かはわかりません。
そもそも、なぜこんなことを書こうと思ったかというと、
とある教授から質問されてから考えました。
「はっしーは、人を動かす為には何が必要だと思う?」と。
その時答えた内容は、
「基本的に、人は動かすものではないと思うんですよね。
動いている人たちがすでにいて、価値の共有が成されると
勝手に動いてしまうと思うんです。僕自身も経験したんですが、
初対面でも5分後には、この人とは長い付き合いになると感じることが
しばしばあります。でも、それ自体僕が人を動かすのではなく、
僕が動いているからだと思います。そして、たまたま波長が合った。
結局、自分を振り返って行動したことで、後付けで
『ああ、自分がこう動いて、相手もこう動いた』としか、言えないと思うんです。
ただ、これは価値が共有されるときですが、されない場合は、
言葉にして言うことで影響を与えることしかできないと思います。
ほとんど、無視されますけどね(笑)」と答えました。
こう答えたとき、やはり人には「芸術と科学のバランス」が
とても重要ではなかろうかと考え始めました。
価値の共有は、このバランスが近ければ近いほどされやすく、
芸術の中身が違えば、影響を受け、自分が変化する
キッカケを作ってくれます。
わかりやすく数値化すると、「芸術:科学=6:4」の人が2人いたとしても、
芸術の中身は、全く違うものなわけで、刺激を受け変化するキッカケとなる。
だけどこのバランスが、「6:4」と「4:6」の人であれば、
価値観の共有に気づかず、刺激を受けることすらしないと考えます。
とはいっても、数字で表されるほど単純じゃないことが事実です(笑)
あくまで、僕がこんなふうに考えているのかと思ってくれるだけにしてもらえると幸いです(笑)
人というもの全体が、芸術そのもので、考え出すとやっぱりおもしろなと思いました。
では。
経営学を学ぶにつれて、そんなに真新しいことは語られていないと
よく感じます。
結局、理論というのは、実社会などで行われているものを
言語として並べるいわば「後付けして整頓したろう」ってことだと思います。
そう考えていると、ある言葉が頭の中で出てきました。
「三日坊主」や「継続は力なり」という言葉です。
(少し話は脱線しますが…)
よくいるかわからないけど
「三日坊主にならないように頑張る」という人もいると思いますが
結局三日坊主になってしまうと思います。
でも、それでいいと思います。
「自分には向いてないや」って気づけて成長するからです。
同じく「継続させなきゃ」と意気込むのも
どこかの片隅に「継続は力なり」なんて言葉を意識しているせいかもしれません。
(そんな意識する人は僕ぐらいだと思いますが笑)
結局言語は、行動してみてその状態を表すものなんだと
改めて理解することが出来るかなと思います。
(ちょっと変な例かなと思いますが)
よし、言語で後付けしまくろうではないか!
では。